美大生に訪れる決着。

「部屋でもいいから描けよ」

直輝君は座椅子に深く腰掛けながら
僕に言った。

どうやら僕が大学の講義にも
校舎に隣接されたアトリエにも出ないで
バイトばかりやってることに腹を立てたらしい。

直輝君は夏休みにやった日雇いバイトで腰を痛めていて、
部屋でも座椅子を使っていた。

僕にはその体勢と口調が
飛行船の司令官のように感じられて
なんだかおもしろかった。

僕の口角がゆるりと湾曲する。

それを見て直輝君は
年下の子供を嗜めるようにわざと眉間に皺を寄せた。

僕は本当に2個、年下だった。

直輝君は2浪で大学に入って来ていたけど、
実質は1年社会人をしてから、勉強し直して入学して来ていた。

なので他の学生よりも
「学んでやる」「作ってやる」という気概がまるで違っていた。

友達のひとり暮らしの部屋で飲むのは楽しい。

膝の高さのテーブルを皆で囲み、
真ん中に安価な焼酎を置く。

飲む為のそれぞれのコップの形も揃ってない。

ガラス製、湯のみ、マグカップと、バラバラだ。
ひとり暮らしならではの食器たち。

僕はいつもそれが「東京っぽいな」と思う。

背の高い焼酎の瓶をいろんな形のコップが円で囲む。

大学に通う為、地方から集まって来た僕らのようだ。


僕にとっては、それはとても心地良い。

形が違う物が集まって離れないのは素敵に感じる。


「そんなの、美術学校に来なくてフリーターで十分だっただろ」

直輝君は勉強して受験して高い学費を払ってまで、
バイトに勤しむ必要がない、と言った。

僕はテーブルに片肘を付きながら、
「バイトする方が楽しい。
 画材の油絵の具2本でTシャツ買えるぜ」

と聞き入れなかった。

それを見ていた伊本が
「おめーら、相撲の若貴か」と笑った。

僕と直輝君はまったく同じTシャツを着ていたので
言い合いしてるのが滑稽に映ったらしい。

「ちげーんだよ。
 これは俺がバイトして買ってプレゼントした服だぜ」

僕は直輝君のTシャツを指差して伊本に言った。


ちなみに伊本も同じTシャツを着ていた。

僕は大学3年生の夏頃、

工場でバイトをしていた。

水中ゴーグルのゴムなどを製造してる工場で、

ゴムを加工してプラスチックにはめ込む作業で、
1週間も勤務すれば全工程を覚えれるくらい
物凄く単純な作業だった。

でも時給がよくて、
僕はその工場でバイトしまくっていた。

休憩時間に作業員のオッサンたちが

「若い頃からこんなとこで働いたら先はなんもないよー」
と煙草とコーヒーの混じった口臭で
よく冗談ぽく僕に言っていた。

僕は
「ここの時給でお洒落な服買えるんでOKっす」

と笑っていた。

工場の作業は単調でつまらなかったけど、
休憩時間のオッサンたちの
競馬や浮気、風俗の話が楽しかった。

なかでも中島さんという40代前半のオッサンは
下世話すぎて素敵だった。

「馬で勝って風俗だろ?
 もう居酒屋の馬刺しで勃起するぜ」とケラケラ笑っていた。

でも中島さんは、
自分の作業過程にはきちんと誇りを持っていて、

「俺がこの工場のネジ、全部仕切ってるから」
とドライバーを数十本も腰にぶら下げながら
目を輝かせて言っていた。

中島さんは、いつも工場に朝一番に来ていて、

一度僕が「毎朝早いですよね」と言ったら、

「ネジの部品取替えて、家族と風俗嬢、養ってっから」
とヤニだらけの歯を剥き出しにしていた。

バイトを始めて1ヶ月程した日、

「今日は定時で帰れるから夕方から風俗だ」

と、朝から騒いでた中島さんが、
僕の隣のレーンでゴムをはめ込んでいた。

時計はもう20時を回っていて、
「風俗はいいんですか?」

と僕が聞いたら、
「同じゴムだからたまにやりたくなるんだよ。
 残業代を稼ぐぜ」

と笑っていた。

僕は中島さんはいつもネジ交換を主にしていたので、
気分転換なのかな、なんて思っていた。

でも次の日、中島さんがパートの主婦のひとに、


「娘さん、熱下がった?」

と聞いてるを見かけて、
僕は、そういう事だったのか、と感心した。


何度もお礼を言う主婦のひとに中島さんは、

「いいって。それより娘さんによろしくな。
 早く大人になってデートしようぜって」

とネジを締めながらカラカラと笑っていた。

僕は同じ職場の仲間として、
パートさんのフォローをする中島さんが格好いいと思った。

そして、それを見て、
「どんな仕事でもやりがいは見出せる」と思った。


それに、僕自身もこの工場では
手も服も油汚れだらけで
なんだか「働いてる」という実感が持てた。

自分で稼いだお金で自分の好きなものを買ってる。

僕は分かりやすく、社会の一員になれたような気がしていた。


僕と直輝君と伊本は仲が良かった。

でも、
確実に僕だけ違っていた。


僕以外の2人はしっかりとした目標を持っていた。

伊本はカメラをやっていた。

いつも写真のことばかり考えていて、
「将来は芸術的な報道カメラマンとして、
 ひとの感情を抉る写真を出したい」

と言っていた。

僕と直輝君が

「そのときは俺らが脱ぐわ」
と言ってたけど、「レンズが割れる」と断られた。

一度、晴れた日に
僕と友達が道路で、
「これ撮ってよ」と手を早く動かした。

僕らは
「これなら北斗百烈拳みたいに手がいっぱいに
 見えるかも」
と笑っていると、
伊本は「シャッタースピードに勝てるかー?」
と言いながら撮ってくれた。

僕らは出来上がった写真を見て驚いた。


手を動かそうとしている僕らの写真だと思ったら、

僕らが暑くて路上に脱ぎ捨てた上着とカバンの写真だった。


「俺なりの《夢中》の表現だ」

と伊本は笑っていた。


雑に放置された僕らの上着の写真は、
アスファルトに色の濃い陰を作っていて、

ぽかん、とした表情で
僕らの無邪気さに呆れているようにも思えた。


構図も色合いもとても素敵な写真だった。

直輝君はもう美術家で、
どんな素材でどのような表現が出来るかを
常に考えてるような男だった。

自分が欲しい、と思えば日雇い労働をして、
何十万も出して木材を購入していた。

そのため、服や生活は質素だった。

僕は
バイトして服を買って女の子とデートしてお酒を飲んで、
というのを繰り返していたので、

「やりたい事を持ってると今を楽しめないんだな」

と思っていた。


僕が学食で一番高い上唐揚げ定食を食べているとき、
直輝君はよく水だけ飲んでいた。

「新しい木を買ってさ」

と直輝君は嬉しそうに話していた。

僕には「それで定食いっぱい食えるのに」と
理解出来なかったけど、
直輝君が嬉しそうだったので黙っておいた。

直輝君にさりげなく唐揚げ一個取られて、
ケンカになった。


僕は2人とは違って、やりたい事がなにもなかった。

だから将来は、なにかテキトーな会社に就職して、
黙々と働いて、夜、残業おわってから派手に遊ぼう、と思っていた。

直輝君や伊本を見てると、

「やりたい事」なんてジャマになるだけだ、と思った。

木材を削ろうが、写真をたくさん撮ろうが

そんなものじゃ時給や固定給には勝てない、と思った。


夏休みの中頃、

いつものように工場で作業をしていると
隣で作業していた中島さんが缶ビールを飲んでいた。

僕が吹き出して
「なにやってんすか」
と小声で笑うと

中島さんは相当酔っていて、
僕に「バーロー」と舌の回らない感じで
吐き捨てるように

「こんなクソみてーなだれでも出来る仕事、
 シラフでやってらんねーよ」

と言った。

僕には少し衝撃だった。

でもすぐに、


うん、たまにはしょうがないよね、と思った。

次の日、
中島さんはもう普通で
「車を買い替えるんだ」と嬉しそうに話していた。

「洗車してるとき、俺も体洗いにマットヘルス行くわ」
と周囲の皆を笑わしていた。


僕も笑いながら工場のバイトを淡々とこなしていたけど、
どこかで、

なにかやりたい事を探さなきゃマズいのかな、なんて思っていた。


気づけば秋になっていて、

僕ら3年生は就職活動の季節になった。


美術学校のおもしろい所は、
作品に真摯に向き合っていない学生程、

服がお洒落だ。

それは作品で表現出来ないのだから、当たり前の事だと思う。

油絵のキャンバスや造形の木材と本気で格闘してる奴は、
風呂の時間でさえ削っていた。

正確には風呂に入る気持ちだと思う。

気持ちの切り替えをしてしまうのを皆が嫌がっていた。

僕は毎日シャワーを浴びて半身浴をして、
髪をトリートメントしていた。


もうOLだ。

油絵科の教授は

「どんな美術学校でも卒業生の7割が制作をやめてしまう。 
 きみらはどっちだ?」

と言っていた。


僕は、「ふーん」と聞いていたけど、

直輝君と伊本は就職せずに頑張るんだろうな、と思っていた。

僕はひとと喋ったり笑わせたりするのがすきだから、
接客業かな、と漠然と思っていた。

僕は「どんな仕事でもやりがいは見出せる」

と思っていたので、なんの仕事でもよかった。


10月上旬に直輝君の部屋で伊本と鍋を囲んだ日、

伊本が

「俺の彼女、今年成人式なんだよ。だから今日、
 前撮りの写真を撮ってきた」

と言った。

伊本は一個下の女の子と付き合ってたので、
その子の成人式用の写真を撮ってきた、というのだ。

僕と直輝君は

「このカメラ小僧が」
と言いながら、

その出来た写真を見せるよう要求した。

どれだけ綺麗に撮れてるのかな、
いいスタジオを予約したのか、
伊本は数十万するカメラ機材を持ってるもんな、なんて思ってた。

でも見せてもらった写真は

僕らの想像のものとはかけ離れていた。


伊本が「ほら」と手渡してきた一枚の写真は


鏡の前で、

その子の母親が笑顔でその子の髪を撫でている、

ふたりのスタジオに入る前の写真だった。

僕らは一瞬、楽屋的な写真なのかな、と思ったけど、


「ああ、そういうことか。」

とすぐに気づいた。

「娘が成人して、お母さんが嬉しそうだったからさ」

と、伊本は言った。


「うん。いい写真だね」

僕と直輝君は頷いた。

その写真に写っている彼女と、母親の笑顔は、
なんだかふたりにしか分からない親子の歴史が

凝縮されているような気がした。


娘の成人の親心。


いい狙いどころしてるやんけ、

と僕は伊本に感心した。


伊本はカメラマンに向いてるな、と思った。


それからしばらく下らない話をしながら飲んでたら、

伊本が

「でさ、俺、
 カメラ辞めて彼女の実家がやってる会社に就職しようと思って」

と言い出した。

僕と直輝君は驚いた。


伊本はついこの間まで
「コンテストで賞を獲って、メディアに自分を知って貰う」

と口癖のように言っていたからだ。


「なんでだよ、写真どうすんだよ、どういうことだよ」

と言おうとしたけど、僕と直輝君は口を閉ざした。


伊本が涙目になっていたからだ。


そして、

「俺は、評価を受けたくないんだ」

と言った。

それはどんな文字数の懐柔よりも
伊本の心情を吐露していた。


「自分が全力で取り組んだ写真が、作品が、
 もし否定されたら、

 それは俺が否定されたのと同じなんだ」


伊本は搾り出すような声で細々と喋った。

直輝君は黙ったままだ。


直輝君はどう思ってるんだろう。


ふたりは同じ、

作品を作るために時間と情熱を捧げてきたもの同士だ。


僕は、なにも言える立場じゃないけど、
直輝君は怒ってもいいような気がした。


伊本は、カメラで世間に評価される事から逃げている。


その事だけは分かりきっていた。

「お前が挑戦しないなら、それもしょうがないよ」


直輝君はそれだけ言うと

「眠い」とベッドに入ってしまった。


直輝君が眠くないのはよく分かっていた。


伊本は下を向いている。

そして、
「彼女の実家、小さな段ボール工場なんだ」

と言葉を転がした。

僕はなんとなくバイト先の工場の中島さんが頭をよぎった。


「ふーん」

僕はなにも言えなかったので相槌だけ打って、
そのまま絨毯に横になった。


「俺、帰るわ」

伊本はそう言うと、帰ってしまった。


僕もそのまま眠った。


いつの間にか、

大学の学食では、

「伊本って彼女の実家に就職すんでしょ?」

「だせーよな」

「報道の賞狙うとか言ってといて結局それかよ」


と同期生たちによる伊本を罵る声の応酬が行われていた。

僕も直輝君も

「そんな言ってやるなよ」

くらいしか言えなかった。


気づけば、伊本は学校に来なくなっていた。

春になって、

新入生で溢れかえる学食で、
僕は上唐揚げ定食を食べてる伊本を見つけた。


「ひさびさ、ひとりで食ってんのかよ」

と、僕が声をかけると、

「さすがだろ、定食だから」

と伊本は

定職に就く自分とを自虐的にかけたセリフを言った。


けらけらと笑う笑顔を見て、

なんだ、元気そうじゃんと僕は少し嬉しくなった。

伊本は

「俺さ、もし、段ボールの仕事にやりがい感じても、
 大学の友達の前では、言わないわ」

と言った。


僕は水を飲みながら

「うん、俺の前ではいいんじゃん」と言った。


僕は伊本が

「自分は挑戦しないで就職する」という事に
深く傷ついてるのが分かった。

それくらい、「審査される場」に出るのはきついんだろう。

「でもさ」

学食から出るとき、伊本が言った。

「俺は、一流の段ボール職人目指すよ」

僕は

「おう」と返事をした。


伊本の笑顔は、

木々から漏れる春の太陽と重なって、

晴れやかだった。

僕と直輝君と伊本は大学を卒業した今でも、

よく遊ぶ。


直輝君は今でもバイトをしながら木工制作を続けていて、
服が木の粉だらけだ。

伊本は、今も段ボール工場に就職していて、
でも

一度も僕らに仕事の話をしてくれない。

僕らが「もういいから」

と笑いながら言っても、

「そんなのは自分の女にでも言うわ」と
話さない。


それが伊本のプライドなんだと思う。

こないだ、都心で行われた直輝君の展覧会に顔を出した。

直輝君は「今度、結婚するんだ」
と綺麗な彼女を紹介してくれた。


「今回の作品群で一番いいわ」

と僕がその彼女を笑いながら指差すと、

直輝君は
「木ではない。もう少し柔らかい素材で出来てる」

と言っていた。

少し遅れて伊本も来て、

直輝君の彼女に対して、僕と同じような事を言っていた。

本当は静寂が基本の展覧会場で僕らの笑い声がこだました。


伊本が、

「ほら、作品の前で皆で撮ろうぜ」

とカメラを出した。

「うわ、ひさびさに見たわ」

と僕と直輝君がカメラを構えた伊本に
笑いながら言った。


伊本は「うるせー」と笑いながら、

「ほら、動くなー」と楽しそうだった。


カメラのファインダーを覗く伊本は、

凛とした姿勢で格好良くて、


僕と直輝君は

膝をついてしゃがみ込んだ姿勢のまま、

なんだか嬉しくて


自然に

笑みがこぼれた。



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